目の前に知っている人が立っているんだけど

どうやっても名前が思い出せない

誰だったっけ?


「知ってる気がするんだけどなあ…」
「本当にそうでしょうか?」
「え?」
「名前が無いものは、存在しない。存在できない。認知がされていないと同義だから。発見されていないから、名前が付いていないのだから。観測されない事象は、存在しない。果たして、私は君に知られていたのでしょうか」
「知ってたと思うよ。だって、知ってたから忘れて、今思い出せないんだよ」
「知っていたというのは、どこからくる自信です?似ている何かを知っていただけかも知れない。現に、君は私の何某かを答えられないでいる。私が、私個人が、何であるか?」
「それは…でも、個人は組織に関連付けがないと、なんにも解らなくなるよ。誰かは思い出せないけど、確かうちの大学の教授だった」
「そんなもの、沢山居ます。私個人を絞り込むには弱過ぎる」
「でも、名簿を見たらかならず見付かるじゃない。手間は掛かるけど」
「なら、探しなさい」
「この名前じゃない…この人でもない…これも違う」
「載っていますか?」
「載ってない。どこにも。どうして?」
「だって私は名前を無くした。だから、私はこの世にいない。存在を許されないのです」
「そんなことない。僕は必要だと思う」
「…優しいですね、高屋敷君は。ならば、お願いします、私に名前を付けて下さい。この世に存在するため必要な、名前を!」
「名前を…名前、なら、そう…」










「何を遊んでいるのです、高屋敷君。そんな必要のない存在と?」
「…あれ?」
「いやですねえ、夏は怪異の季節とは言いますが、汚いものに触ってはいけませんよ」
「安西先生…?」
「私がどうかしましたか。私に似た何かを見ましたか」
「…似た…」
「君もまだまだ、鼻が利かない。あれ程撫でてやっているのに、未だに匂いを覚えてくれませんねえ」
「じゃあ…じゃあれは、あそこに居るのは?」
「…名前が無いもの、存在を許されないもの、存在させてはいけないもの。ああして偶に、名前を付けて貰おうと、人を騙しにやって来ます。名前が付いたら最後、恐ろしいことになります。だから名前が無い。誰も、あれを見つけていない…ということになっている、何かです」
「…」
「さあ、もう帰りましょう。君は何も見ませんでしたし、私も何も見なかった。存在しないものを見るなんて、誰にもできない。帰って納涼特別番組でも見ましょうねえ」
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