「高屋敷君高屋敷君、どうして逃げるのですか?先生と一緒に遊びましょう」 「ポケットに猫の死体詰めた奴が教師なもんか!あとその持ってる金槌も捨てろ!大嫌い!」 「高屋敷君は辛辣ですねえ。その言葉の鞭で私の心はずたずたです」 「思ってもいないことを思ってもいない顔で言うのやめたら」 「ああ悲しき言語体系よ。我々は言語と言う一次的感覚から逃れる術は無いのです、実に哀れで切ないものですね」 「安西先生はたまに芝居がかるからめんどくさい。なんだって言ったの?」 「言葉というものが空しいと言ったのです。例えば、先程の言葉が君に伝わらなかったのもその一例です」 「はあ、他にはなにがあるですか」 「そうですねえ、例えば…私がこうして話します、君は、それに返事をします」 「あんまりしたくないんだけどね」 「高屋敷君が悲しいことを言いますが、悲しいのはそれではありません。本当に悲しいのは、私達が一方通行でしかない事です」 「? ちゃんと相互にお話してるじゃない」 「いいえ、私が話す時には君が口を噤まなければならない。君が話す時には私が口を噤まなければならない。私が聞くときには君が話さなければならない。君が聞く時には私が話さなければならない。私たちは同時に話して意思を疎通することは出来ず、また同時に耳を欹てて意思を疎通することも出来ない。哀れだとこう言いたいのです、口を噤んだ高屋敷君」 「もうちょっと簡単に言えないのかなあ…」 「そしてまたは、思考は言語に付随するということです。もし数字を3までしか持たない言語があったすれば、その言語を使用する文化に生まれ育った人間は3以上の数を認識できない。言語は間違いなく、我々の相互認識の障壁です」 「僕は解るけど」 「いいえ、いいえ、君と私は同じ日本語日本文化で育ちましたが、それでも差異は生じます。例えば、方言といったように」 「へー?方言も言語になるんだ?」 「ある観点ではですけれどねえ。例えば高屋敷君、いずいの意味が解りますか」 「解るよ。北海道の方言だもん、僕生まれも育ちも北海道ー」 「私も解るんですがね、しかし、他の地方の方には何と説明します?」 「え?…かゆい、とか…ちょっと違うねえ、うー?いずいはいずいとしか言えないです」 「つまりそういうことなんですよ。我々には、いずいという感覚が存在する。けれども外の人にはそれが無い。感覚すらも言語は支配しています」 「ふうん、それちょっと面白いね。…で、悲しい話はそれでおしまい?」 「まだありますよ」 「まだあんの…臭うからその猫の死体捨ててから話して欲しいんだけど」 「断ります。後で食べるつもりなんですよ、君にもご馳走してあげますからね」 「いらねーよ!!」 「例えば、言語と言うものはどれであれ、一時的な処理しか出来ない」 「よく解んない。でもなんか前聞いたことあるような気もする」 「良いですか、これを見て下さい。どう見えます?」 「…白い猫が死んでるね」 「そうですね、君は一目でそれを知覚しました。便宜的に言えば、1ステップです。しかし、君が口にしたように言語でこれを表すとするならば。白い、猫が、死んでいる。と順番に一つずつ、情報を伝えなければならないのですよ。ここで言えば3ステップかかる訳ですね」 「はあ…別にそんくらいいいと思うんだけどねー」 「これ程言っても楽天家ですね、君は」 「金槌でされるくらいなら頭撫でてもらわなくていいよ。だってさ、だからって言葉を捨てるわけにいかないじゃん。不便かもしれないけど、便利なところもあるんだし」 「その便利さは我々を嘘吐きにしました。弁舌巧みに本心を隠し、他者を騙す、意地悪な道具です」 「それ安西先生のことでしょもう、ああ言えばこう言うんだから!じゃあ言葉がなくなったらどうなるの?」 「言葉が無くなったら?考えても見ませんでしたね」 「あっそ、代替案無しに批判する人僕嫌いだよ」 「では、考えてみます。…ああ、成程、解りました」 「早いなあ。ホントは考えてたんだろうなあ」 「高屋敷君、言葉が無くなったら、この世に残るのは、感情ですよ」 「感情?」 「はい。例えば、私が金槌を振り回します」 「例えばだろ?!本当に振り回す必要ないのにぎゃああ!!」 「さて、君が今感じたもの。それが感情。言語に頼るしかない現状で言うならば、それは恐怖とラベルが付けられた感情」 「? ラベル?」 「言語はラベル付けで出来ています。事象へのラベル付け。つまり、あの空に浮かぶものに雲と名前を付けたこと」 「ここ屋内だけど」 「でも、言っている意味は解ったでしょう?」 「うーん…でも感情ってのはよくわかんない。感情意外にも色々のこるんじゃないの?それこそ雲とか」 「勿論、事象は存在し続けます。そして、その事象を目や耳やらで知覚して、君が発露するものが感情です」 「??? 喜んで飛び跳ねるとかー?」 「それもいけません、ボディーランゲージも言語ですから」 「わかんないよ、やっぱり」 「君が感じるままですよ。例えば今私が鉄柱を握り潰しているのを見て君が感じるものです」 「…一言では言えないね」 「そう、言葉で言い表せないといえば少しは解り易いかもしれません。言葉には出来ないけれど、確かに自分の中にある何か。それが感情。もっとも純粋な個人の思い。伝える手段無き孤独の思い」 「んー?伝える手段が無かったら、それこそ相互認識がだめになっちゃうよ?」 「伝えずとも、行えます。個人の行為が寄り集まり、何かの結果をもたらします。それだけで良いじゃありませんか。伝えようとするから伝わらないことに苦しむのです。ただ傍でそっと見守り、自分の感情を慈しみ、何かをすれば良いのです」 「根暗」 「言うようになりましたねえ君も」 「じゃあね、今僕と安西先生の間に言葉がなくなったとすればね?その純粋な感情とやらしかない世界で、一体なにが起きるの?」 「ふむ、それは感情のみの世界でしか起こりえないのです」 「なにそれ、ずるい。安西先生が僕に対する感情なんて、今言葉がある状態でも無いのとと大して変わんないでしょ?」 「ええ、言語的に言えば、愛してますよ」 「…僕も言語に疑問が出てきたです。石臼で磨り潰すのが愛ですか?」 「高屋敷君は可愛いですねえ。本当にうさぎさんの様に可愛いです。生徒としても愛しています。友人としてもね。恋愛感情は正直君みたいなガキには感じられませんが」 「頼んでないけど、ちょっとわかりやすいかな?愛って言っても一種類じゃないんだよね。ペットへの愛とか、色々あるんだね。そんで、それを、なになにの、愛。って2こステップ踏まなくても理解できるのが、感情なんだね」 「はい、君は大変分かりが良い子です。感情は全てを内包し総括出来るのです。…話は戻りますが、感情しかない世界で、一体何が起きるのか?それは感情のみの世界でしか起こりえないのですけれど、しかし起こったことを言葉で伝えることは出来ます。一次的ですけれど」 「え、どうなるの?言ってよ」 「まあまあ、少し落ち着いて下さいな?今からこの小規模空間で言葉を無くしてしまいますから。実験は理系教授の趣味なんです」 「神か!」 「いきますよ、12の…3」 起こったことを言葉で伝えることは出来ます その空間でなにが起きたか 率直に伝えます 僕は安西先生に殺されました すごく慈しんで殺されました それは確かに言語化できない感情から起きました 安西先生ってやっぱり狂ってる。 |