suisyou


安西先生は、よく分からない形をした透明な何かを削ったり磨いたり、なんだかとても一生懸命で
声を掛けたら邪魔になるかななんて気遣いをしていたんだけど、急にこっちを向いて

「心臓の鼓動の話をしましょうか」

物凄く唐突な話題を振ってきた

「…うん」

たぶん、うんでもいやだでも話し始めただろうけど

「鼓動というものは分/80回規則的に収縮を繰り返しています。しかし、そこには僅かなぶれ、もしくは揺らぎやずれが生じて、完全に正確なリズムを刻めている訳ではない。つまり秩序の側面と無秩序の側面が同時に存在するのです。縮小と拡大を要素に孕んでね。…ここまでは解ります?」
「わかんない」

全然わかんない
なにもわからなかった

「もっと簡単に説明してよー…」
「これ以上簡単に?…んー…では例えと実践で話しましょう。高屋敷君、手拍子を打ってくれますか?」
「こう?」

パン・パン・パン…これって何拍子だっけ

「…はい、もう良いですよ」
「これがどうしたの?」
「君は今、ある一定のリズムで手を打っていました。音楽を演奏する目安には十分な程度に正確なね」
「うん」
「でもどうでしょう、今のリズムはメトロノーム程に正確でしょうか?0.01秒もずれずに打てていたでしょうか?」

…そう言われると自信ない
途中早くなった気もするし、一秒以下のことなんて人間じゃ判んない

「たぶん、ちょっとずれてたかも」
「つまり、そういうことです。全体的に見れば一定のリズムであっても、一部を突き詰めると不定のリズムになる。縮小と拡大の視野。規則的と不規則の同棲。それが心臓にも…いえ、振動する物質の全てに起きているんです」
「全てに?」
「ええ、全てに」

難しいけど、少しは解った。先生がいうぶれとか、ずれだとか揺らぎってのは、『意識』がないモノにも起きるんだね

「その全てに生ずる揺らぎは…揺らぎにも関わらず…ある法則があります」
「不規則なのに、法則があるの?」
「全く不思議なものです。1/fの揺らぎと呼ばれ、定義を述べると『生体や自然のリズム現象がもつ、周波数スペクトルの各成分の強度が周波数の逆数に従って分布する特性』…まあ、何言ってるか解らないでしょうが」
「わかるもんか」

そろそろ眠たくなってきた
難しい話はどうして眠くなるんだろう?
安西先生が何かを削っている音は規則的で
羊を数える単調さに似ていて
…それと、母さんのお腹の中にいたころの、母さんの鼓動も、こんなふうに単調で?

「まるで誰かが仕組んだように、震える世界は皆1/fに揺らいでいる。…水晶時計を知っていますか?」

子守歌が聞こえてくる

「水晶を結晶軸に対して、ある特定の方向に切断し薄片を作る。その両面に電極を取り付け電圧を掛けると水晶に歪みが生じる。まあそんなことで水晶は振動を持続するのですが、その振動はとても安定していて、気圧や温度変化にも全くと言える程ずれが生じない。時計のような完全さを追求する道具には打って付けの素材なんです。…しかし、ああしかし。そんな限りなく完全に近い規則的な振動をする水晶ですら、1/fの揺らぎを生ずる。高屋敷君の左胸の中で震えるこの心臓と、同じぶれを持っているのです。拡大の視点で見れば、心臓と水晶は別の物…しかし縮小の視点で見れば、同一のものとも考えられる。だから、ねえ高屋敷君?どうせ相似のものなんですから」

眠くて眠くてもう目が開かない
目が開かないから、どうなっているのか分からない
僕の左胸の中で、なにか細いものが蠢いて
パクンパクンと震えるものを撫でている
そんな気がするのに
僕の目はどうしたって開かなくて


「…これと、これを、取り替えてしまいましょうね」


僕がもともと持っていた震えて揺らぐものは、蠢くなにかに持ち去られ
代わりにはめ込まれたもの
それは綺麗に磨かれた、心臓の形をした水晶だった。

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