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湿った綿を敷かれたペトリ皿の中、小さな種が芽を出した。


白い指がガラスの蓋を静かに取り去り、慎重な指先が萌えた茎を摘んで持ち上げる。可憐な双葉は摘む指の緊張と高ぶり を伝えられて小刻みに震えていた。指の主は押し殺した息を吐き、優しく芽を綿へ寝かせ直す。再び蓋は被せられ、皿ご と持ち上げどこかへ持ち去っていった。

誰も居なくなった部屋ではカーテンがふらりとたなびいて、夏の気配を部屋に撒き散らす


僅かに上気し桃色に色付いた身体。その胸の真ん中に手を置き、少しだけ右にずらされた。肌を擦るその感触に高屋敷の 背が小さく弓に反ったが、安西がすかさず伸ばしたもう一方の手で目隠しをされ、直ぐに全てを弛緩させた。剥がすよう に胸の手を離して、代わりに右の耳が押し当てられる。耳殻が歪む程にしっかりと押し付けてf/1に揺らぐ鼓動を確か めた安西は、ふと母の胎内に納まっていた自分を思い出し噛み締めていた奥歯の力が弛む。

暫し目を閉じていたが、やがてふらと立ち上がり、横にある机から銀盆を取った。乗せられていたのは細くて長い鋏 だった。医療用の物とも違う奇妙な形のその鋏に消毒液が吹き掛けられ、安西の長い指が二つの輪を潜り固定する。指を 入れる輪を動かしてみると、細いシャフト管を経由して、先端では和裁鋏に似た小さな二つの刃がキチュキチュと合わさ る。具合を確認し終えたのか安西は鋏を盆に戻し今度はマーカーを手に取ってまた高屋敷の許へと戻り、キャップを外し たマーカーを垂直に持ち、心臓の位置にぽつりと点を打った。薄桃の肌に穿かれた黒点はさながら付け黒子、鼓動と呼吸 でぶれながらある種の色気を揺らしている。その傍らに安西の左手がそっと添えられ、右手には再び鋏を持ち、胸の黒い 印に目がけて刃先が近付いていく。

鋭利な先端がプツと皮を突き刺す。優しく強く垂直に押し込むと刃は数ミリめり込み、ややあってから蘇芳の水がぷ くりと球を造った。安西が赤い唇を戦慄かせ、刃先を蠢かすと高屋敷の表皮が引きつれる。湿った抵抗を意に介さず肉 を切り潰して刃は体内の奥へと進む。1センチ程進んだところで手を休め、安西は高屋敷の顔を伺ってみたが、少し迷惑 そうな顔をしているだけで苦痛の色は見えなかった。ただ、頬が恥じらうように赤らんでいる理由は分からない。

目を覚まさないのを確認して作業は再開されるが、数分後鋏を操っていた手が不意に止まる。刃先が伝えた感触は、 心臓の筋肉だった。一度肺の空気を押し出してから安西は先程より慎重に細かく刃を動かして小刻みに道をつくり始め、 曲がることもなく開けられる穴はひたすらに心臓目がけて進んで行く。時計の針がチクタク鳴る音だけが部屋に満ち、規 則正しいそれは安西が左手に感じる鼓動とよく似ていた。

あとほんの1ミリで心臓の筋肉を突き破るというところで鋏の輪から指を抜き、代わりに高屋敷の肌から離れた左手 が鋏のシャフトを支えて固定した。空いた右手は傍らのキャスターを引き寄せ、発芽したペトリ皿を落とさないようゆっ くりと取り、高屋敷の平らな腹部に置く。ガラスの冷たさで腹筋が彎ついたが、蓋と容器が擦れ合いギュリと音を立てた だけ、問題ないと安西の右手は蓋を取り去り優しい指で芽を摘む。

根を下にして人差し指と親指で挟まれた芽、ぶれないように小指部分は高屋敷の肌に押し付け構えられた右手。また 一つ息を吐き、すと吸い込んだ後、左手は鋏をくっと心臓へ突き込んだ。ぶつりとした感触と共にこれまでに無い勢いで 湧き出る蘇芳が肌を滑り糸を残して脇腹へと流れ白いシーツに滲んでいく。素早く鋏を抜くと鯨の潮の様に吹き上がった が安西は構わず右手の芽が伸ばす白い根を穴に差し込んだ。すると噴水の勢いは弱まりやがて止まり、また芽も軽く引っ 張られても抜けない程びったりと穴に合わせて太く成長していた。濡れたガーゼで高屋敷の身体を拭いた後、芽が完全に 根を伸ばして高屋敷の心臓に根付いたことを確認した安西は、高屋敷の頭を撫ぜて笑った。


幾日か後、眠る高屋敷が置かれた部屋を訪れた安西が鮮やかさに目を細めた訳、それは真っ赤な珊瑚樹だった。養分を提 供する高屋敷の全身は守られるように珊瑚の枝で包み込まれ、赤い檻の中変わらず眠り続けている。その胸に植わった珊 瑚樹の幹は高屋敷の大腿部程の巨木となって枝を部屋の四隅にまで伸ばす。床を這う枝を踏み折ると、傷からはとろりと した赤い粘液が流れる。自身が育てた珊瑚の質の極上さにこの上ない満足をしながら、安西は高屋敷の親指程の枝を折り 取って、絹のハンカチに包んで持ち帰った。


数日掛けて蕩ける様に磨かれたその珊瑚は首飾りへと仕立てられ、今は安西の胸元を鮮やかに飾っている。

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