少し早足で歩くと汗ばんでしまう陽気の午後、僕は安西先生に呼ばれて第三校舎五階のテラスへやって来た
ガラスのドアを開けて、先に来ていた安西先生に声をかける

「安西先生ー」
「…ん、高屋敷君。遅かったですねぇ」

先生はテラスに設置されてる白いイスに座って赤い表紙の文庫本を読んでいて。そして本を伏せ、イスとお揃いに真っ白なテラコッタのテーブルを指でコツコツ叩き、『お座りなさい』と無言で言った

「今日は天気いいね、安西センセ」
「ええ、ですから今日は日向ぼっこをしながら、お茶でもと」

僕はテーブルを挟んで先生の向かいに座る。陶器のイスは触れると少しひやりとした

「お茶?」
「君の分はそこに置いてあります」

そう言ったセンセはペットボトルのポカリを飲みだした
先生がサプリ飲料を好きなのは知ってるけど、なんていうかもうちょっと周りの家具に合ったものを飲んでほしいと思う。僕にはこんなに凝った茶器でお茶を出しておいて

先生の趣味はよく解んないよとこっそり呟きながら足元に置かれていたお盆に乗った、ティーポット、カップとソーサー、シュガーポットの真っ白ボーンチャイナ茶器一式をテーブルに上げる
そしたら先生がお湯の入った魔法瓶を取出し、僕の方に押しやった。つまり自分で淹れろと言いたいんだと思う

「グランボアシェリ・バニラの葉です。かなり無理を言って譲って貰った良い茶葉ですから、心して下さいね」

安西先生脅しですかそれは?
そりゃ最近になって紅茶の淹れ方はセンセに仕込まれたけど、先生の淹れたお茶に慣れた舌は自分で淹れたお茶を嫌がるんだから

「センセが淹れてよ」
「お断わりですね」
「でもー」
「練習しなければ上手くなりません」

じゃあ脅すようなこと言わないでほしいなとぶつくさしても安西先生はまるで聞いてないので
僕はおとなしく、カップにお湯を注いで暖める
S.F.T.G.F.O.P.と書かれた缶を開けて茶葉をすくうと、バニラの匂いがふわふわ。お湯を注いで蒸らしもきっちり、三分間
ティーポットを上下に揺すりながらカップに注いで取り敢えず出来上がり。色も匂いも今までにない改心作だ

「ほらみてみてセンセ、すごくない?」
「んー…そうですね、よく入ったと思います…が」

苦笑を浮かべて安西センセが僕を見る

「が?」

なんかダメ?

「もう少し余裕と言うか遊び心と言うか、肩の力を抜いて淹れて貰いたいですねぇ」
「なにそれ」
「眉間に皺を寄せて淹れた紅茶はちょっと」

もう、難癖付けてばっかり。自分はポカリなくせに
僕は先生に見せてあげたカップを手前に寄せて、砂糖をボチャボチャ入れて掻き回す

「別にいいですよーだ。先生に飲ませるわけじゃないもん」

ティースプーンをソーサーに置いて、一口
うん、悪くない
安西先生程じゃないけど結構おいしい。やっぱり改心の出来

目を細めて僕を見ていた先生が、二回ゆっくり瞬きをして、目を閉じたまま話し出した

「うちの学校は本当に長い伝統がありまして…」
「なあにいきなりー」
「まあお聞きなさいな

現学校長氷室さんのお父様、お爺様、ひいお爺様…もっともっと上まで遡り学校長を努めている、代々続く名門校です
ですので、歴史もまた深く、氷室さんですら知らない事もあったりするのですよ」

僕はお茶を飲む

「高屋敷君。先日、工事の方がいらしたのを知ってますか?」
「工事の人?」

カップに口付けたまま考えてみる
そう言えば一週間位前に電気ドリルの音がしていた気がするけど…あれは、校舎のどこだっけ

「来てたのは覚えてます」

僕の返事を聞いて、安西センセは目を開けて微笑む
でもまた眠た気に伏せちゃったけど

「家庭科室に来ていたんです、思い出せませんか?」
「…ああ」

そう言われればそうかもしれない
僕は一口お茶を飲む

「なんの工事だったの?」

前に見た時は別に工事が必要な場所なんて無かった気がする。だいぶ入ってないから不確かだけど

「んー…工事では、ないですね…どちらかと言うと、そう、好奇心」
「…ふえ?」

なんのことやら
僕は口をへの字にして目を閉じる。先生はこうやって焦らすからイヤなんだ
思いっきり拗ねた僕を見て、安西センセは満足気にふふんと鼻を鳴らした
いじわるばっかり

「知りませんか?家庭科室の壁には、不自然な出っ張りがあったでしょう」

それを聞いて僕は急に思い出す
入り口から見て右側の壁にある、変な出っ張りを。横幅は一メートルくらい、高さは僕よりちょっと大きくて、奥行が五十センチくらいの変な出っ張り
もちろん柱なんかじゃなくて、叩いてみたらボコンボコン音がするから空洞があるはずの変な出っ張り

「あれを、見たの?」

急に食い付いた僕を見て安西先生はにやりと笑った

「どうなのさ!?」
「まあまあ、落ち着きなさい高屋敷君」

殆ど立ち上がって身を乗り出しテーブル越しに詰め寄っていた僕を、安西先生は手で制して、宥められた僕は座り直してお茶を飲む
バニラの薫りでちょっと落ち着く

「…そう、私も気になっていたので氷室さんに頼んだのです。どう見ても建物の構造上、無意味どころか邪魔ですものね」
「ねえ」

もう引っ張るのはいいから早く教えてよ

「今話しますったら…

恐らく高屋敷君も知ってるでしょうけれど、あの部分には何か空洞になっているものが入っています。壁紙を上に貼られてね
ですからまず壁紙を剥がして貰いました」

ゴクリと喉が鳴った
僕はお茶を飲む

「すると、ベニヤ板が出てきました。ですがその出っ張りの正体がベニヤ板な訳ではなく、ベニヤ板はその正体の覆いでした。壁紙を貼るには、正体は凹凸があり過ぎたのでしょうね」

お茶を飲む

「で、打たれていた釘を抜いて、解体して出てきたのは……」

僕はカップを握り締める



「食器棚でした。食器が入ったままの」



「…へ?」
「食器が入ったままの食器棚」
「…どうして?」
「さあ」
「だって…そんな、変じゃん。だって、食器棚閉じ込めるのも変だけど、お皿とか入ってたんでしょ?使ってるじゃない」
「ええ。…私にも、訳が分かりませんでした」
「校長先生は?」
「壁紙張り替えの記録はあったらしいですが、それ以外は…」
「……なんか、気持ち悪い」
「そうですねぇ…」

僕はカップを持ちなおす
なんだろう、このもやもや。中身入りの食器棚だなんて、意味が分かんない
…意味が分かんないから、気持ち悪い
これならいっそ死体でも出来た方がよかった。それなら隠さなくちゃいけない理由が解るもの

「まあ、その食器棚は何の変哲もない普通の食器棚でしたので、処分してしまいましたよ」
「ふーん…」

僕は残りの紅茶を飲み干し、一息吐いてから聞いた

「…で、その食器ってどうしたの?」
















安西先生はにっこり笑って、僕が持ってるカップを指差した。

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