ちた、ちた、



耳をそばだてねば聞こえない程小さな、何かが滴り落ちる音

【寒月楼堂】

そう看板の掛かった、古物商らしき店の前
栗色をしたツインテールの少女が立っている
挑むように仁王立ちをし、両手で握るのは凡そ女子中学生が持つのに似付かわしくない、むき出しの斧
さっきからの粘ついた水音は、この斧から滴れる赤黒い血が立てていた
どっぷりと返り血を浴びた姿を見れば、腕を伝って斧迄行く血は限り無い
いつ終わるとも知れずに、少女以外であろう誰かの血が滴れ落ちる


ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、
どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、


少女の鼓動とぴったり寄り添い、血は滴る。二つの血の音を立てながら、少女はじっと動かない
と、ふいに息を吐き斧を振るって血を弾き飛ばした
ぬめる柄を丁寧にポケットテイッシュで拭ってから、看板の掛かったローズウッドの扉を押す

キャアアアァァァァ…

と、扉が軋んだ
いや、扉ではない。女性の叫びだ。それも艶を含んだ極上の

「あらあらあらあらお帰りなさい、私の可愛いリジーボーデン!その血と内臓とあと色んな体液で汚れた姿が素敵よ綺麗よ大好きよ!さあ!その斧で私を殴って頂戴、思う様殴って頂戴!!」

扉を開いた直ぐそこで、腕を広げ差し伸べて急所を晒ける妙齢の女性
―恐らくはここの店主だろう―に少女は構えていた斧の行き場を失わされ、曖昧な場所に置かれたまま動かない

「あら?どうしたの千香ちゃん?私を叩き潰してくれないの?」
「ちくしょう…あんたはなんで逃げないのよ…」

切なげに斧を求めて鼻にかかった声を出している美貌の店主を、困惑しながら睨みながら半端に出した殺気を持て余している少女の名前は千香
名は姿を表す通りに、千の花香に並ぶ可憐な少女だが、生まれついての殺人鬼で、母の胎内から出た時に臍の緒で看護婦を絞め殺した事もある
因みに、その時医者も死んでいるが、医者を殺したのは千香の母親でありこちらもまた殺人鬼。つまり彼女の家系は殺人鬼なのである
人間が一人生まれるのに、人間が二人死んだ
バランスは悪いが、最近の人口爆発を考えれば寧ろ地球に優しいと言える

「まあまあ私が千香ちゃんから逃げる訳ないじゃない!いつでも此処で千香ちゃんを待ってるわよ」
「ふざけんじゃないわよ!逃げるのを追い詰めて殺すのが殺人鬼の売りなんだから!!」

由緒正しき殺人鬼のプライドか、自ら身を投げ出す人間は獲物にしたくないらしい

「ああ、そんな事言わないで頂戴千香ちゃん…私はこんなに貴女から受ける鈍い衝撃を望んでるのよ?さあ私が形を無くす迄叩き切ってぐちゃぐちゃにして!」

何処か淫媚にすら聞こえる言葉を赤く濡れた唇から切々囁く艶熟な女性
腰まで流れる黒い髪とハスキーな声、飲み込むように深い瞳の切れ長な目と絡むような甘い体臭、肉感的で豊満な肉体とそれを取り巻く奇妙な気配
女女とし過ぎた姿は、魔女を彷彿とさせる
実際、そうなのではないだろうか
店内は薄暗く、陳列された古物は如何わしい物ばかり
唯一まともな物といえば、カウンターの近くにある狸の置物だが。店の雰囲気に飲まれてそれすらも奇妙な物に見えている

「うるさいわよこの淫乱マゾ熟女!!」
「千香ちゃんたら口が悪いわ、私の事は八千美と呼んでって言ったじゃない…」

長い睫を寂しげに伏せ、血を啜ったように赤い唇から溜息を漏らす
儚いその姿は、殺人鬼の血を揺さ振るのに十分過ぎた


私に流れる殺人鬼の血が
叫ぶ、叫ぶ
こいつを殺せと
嗚呼、けれど神様
私は鬼ではなく人間です
いっぱしに理性があるのです
演技だと解っているのに、殺すのは本当にシャクに触る!!


ギリギリでプライドが勝ち、千香は深呼吸して気を落ち着ける
殺す気が無いと解った八千美は残念そうに鼻を鳴らし
カウンターの中に回ると、その奥にある扉を開け、数分後に戻ってきた

「千香ちゃん、お店の物見るんだったら手を洗って頂戴ね」

冷水の入った洗面器をカウンターに置き、細い指でパシャピシャ掻き混ぜ千香を促す
血みどろの手で高級そうな家具や置物に触れるのは気が引けるのか、千香も存外素直に手を浸した
無差別に人を殺す殺人鬼とはいえ、人の足を踏んだら―それが死体でも―謝るしゴミの分別はしっかりするし
寧ろ同年代よりもしっかりと常識を知っているのだ

「…冷たいんだけど」
「あら、血は熱い水じゃ固まって落ちないわ。女の子の常識…うふふ」

娼婦の笑顔で下世話な事を言う八千美、処女の赤面で舌打ちを漏らす千香
冗談が解るほどには、大人なのだろうけれども
視線を逸らせた千香のもとから離れ、洗面器と共に持って来た白い何かを持ち
店に陳列されている、中ぶりな大きさの鏡台に向かう

「…ちょっと、何してんの?」
「え?見て解らないかしら」

小皿にとられた、僅かに粘度のある透き通った液体
習字筆で、てゆてゆ掻き回されては甘い匂いが振り撒かれる
たっぷり含んだ筆先を、鏡台のよく磨かれた鏡に近付け、ねってりと線を描く
手入れはされているが、当時の年代のままなのかセピアがかり金色に反射する鏡に
甘い線が一筋二筋
それは恐らく、砂糖水

「こうすると蟻が集ってくるの」
「…集めて、どうするのよ」

なぜ塗る対象が鏡なのか、本当はそこが一番の疑問なのだが
聞いてもきっと頓珍漢な答えしか返って来ない事は、経験から知っているので
二番目に知りたい疑問を口にしてみる

「蟻ってとっても可愛いわ」
「そんな事聞いてないんだけど。しかも可愛くないと思うんだけど」

やはり明後日の方向にしか返ってこなかった返事よりも
虫を可愛いと言う事が理解出来ない
幼い頃は青虫だろうと蜘蛛だろうと平気で触れた千香だが、いつの頃からか
虫に対して面白いだとか奇麗だとかよりも、不気味だと思うようになっていた
人を恐怖させる殺人鬼である近頃の千香が恐れるものは、虫と、目の前に居る八千美だけだ


神様、幼い頃は何て平和だったのだろう?
部屋に蛾が飛び込んできても悲鳴なんて上げなかったし
何より、この異常者の事なんて知りもしなかったのだから


「残りの三割はサボるのよ」
「…え?」

天を仰いで己の不幸を嘆いていたら、聞き逃した

「あらあら、聞いていなかったの?もう、千香ちゃんったらぼんやり屋さん」
「ほっといて。…で、何?」
「蟻が十割いるでしょう?その中の三割はお仕事をサボっちゃうのよ。何処の巣穴でも」
「…ふーん」

ふーん
…それ以外に、何が言えただろうか

「そういうふうに出来てるの。そういうふうに出来てるから、そういうふうに動くのよ」

興味無さ気にそっぽを向いた千香に構わず、何処かの童謡の様に言葉を紡ぎ
ぬらぬら光る鏡に華奢な指を近づけべっとりと手のひら全体を這わせ
愛撫する様なその仕草は、淫らな狂気が匂い立つ

「千香ちゃんもそうよね。千香ちゃんは人を蟻みたいに殺すのに、本当は自分の方が蟻にそっくりなの」
「な…何言ってんのよ。何で私が蟻なのよ?」
「蟻よ、蟻。蟻にそっくり。つまらない虫けらにそっくりさんな千香ちゃんは蟻にそっくりな蟻に似た千香ちゃん」

八千美が同じ意味を繰り返す。トートロージーが千香の精神に過度な負荷をかけて追い詰める
加えて、言っている事がムカつく。乙女に対して虫とは何たる言い草か

「千香ちゃんは、人を殺すように出来ているから、人を殺すの。そういうふうに出来ているから、そういうふうに動くのよね。決められた事をやってるだけなのよね」
「うるっさいなー!!そりゃ蟻には自分の意思なんて無いわよ。でも、私は好きで殺人鬼やってんの!家系だからやってる訳じゃないんだからね」
「あら…そうなの?」
「そうよ」

八千美が僅かに目を見開いて、意外そうな顔をする
そうしてじっと瞬きせずに千香を見詰めていたが、やがてそっと目を閉じ鏡に張り付いた手のひらを引き剥がす
硬質な暖かいガラスと柔らかな冷たい肉の間に透明な甘い橋が架かる
一歩踏み出し千香の前に歩み寄り、穏やかな口調で舌の上から言葉を流す
一歩後退り千香は頬を引き攣らせ、デジャ・ヴが見える
前にもこんな顔をされた事があった
そしてその後には…ロクな事が起きやしない

「そうなの…ねえでも千香ちゃん?偶には…いつもと違うことしてみたくならない?」
「は?」
「ふふ、だからね千香ちゃん…いつもなら絶対したくないようなコトを…」

退路を探す千香の前で、八千実が魔性の笑みを浮かべ
半ば開いた唇を、軟体生物の様な舌が舐め擦り唾液が糸を引き煌めいた

続いたそれは、何事かを宣告する如く





「私とシてみたいと思わない?」





声と同時に飛び掛り、細い身体を抱き潰す
蛇の様に腕が絡みついてきて、千香の幼い首筋にぬたぬたした手のひらがへばり付いて怪しく蠢く
まるで粘液が絡んだかのような砂糖水塗れの指先に、ぞくりと総毛立ち肌が粟立つ

「やめろ離しなさいよこの年増!」

泣き声にも聞こえる悲鳴で千香が叫ぶ
素手で人の首をもぎ取るほどの腕力が、如何して八千美には敵わないのだろう
喉元に張り付かれた真っ赤な口が、力を吸い取ってでもいる様だ

「うふふ…千香ちゃん、くすぐったい?大丈夫よ、それって慣れると……とっても気持ち良いの」

官能的な娼婦の言葉
処女の本能が純潔を守ろうと、恐怖で身を強張らせ
怖気が背筋を這い上がる
ああ、この汚らわしいものを剥がさなければ!!



思った瞬間、派手な打音と何かが砕け弾ける音
視線を落とせば前に伸べられた自分の腕と、その先で無数に散った銀の破片の中で崩れている八千美
鏡の欠片で切れたのか、白い脚に血の網目が伸びている
ぐったりと頭を垂れ、ひくりとも動かない

…げほ

何秒それが続いただろうか
やがてその静寂が破られ、八千美が咳と共に肉塊を吐き出す
我を忘れた千香の腕に突き飛ばされ、何処かの内臓が壊れたのだろう
死んでもおかしくない怪我
その筈なのだがこの女ときたら、まるで痛みを知らないように
焦らすみたいにゆっくりゆっくり顔を上げ、狂った笑顔でこう言うのだ





「ああ、千香ちゃん………気持ち良いわ」





あの時もこうだった
千香の頭に一ヵ月前の記憶が繰り返す

学校帰り。人を殺した帰り道
アンティークな店の雰囲気に乙女心を騒がされて、血を滴らせながら油のささった扉を開けて
そしたら店主らしき美人なお姉サマが、一時間前の私とは違う意味で襲い掛かってきて
思わず突き飛ばして刃物を振るって…
そう、ちょうど今みたいに。細い細い首筋に。ガツンと

















どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、
ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、ちた、


三十分前と同じに、少女が血を滴らせ立ち尽くす
違う所といえば、扉の前に立っているか、首無し死体の前に立っているかだけだ
断面から噴出す血飛沫を受けながら、足元の血溜まりを蹴る
ギリリと歯を鳴らしながら左を向き、斧で弾き飛ばした八千美の首を見やる
首は暗い部屋の片隅で転がりながら髪を乱して微笑んでいる
円熟した劣情を起こす笑みだが、首と胴が離れただけでこうも印象が変わるのだろうか
ぽったりとした厚くはち切れそうな唇が形作る弓月も、妖しのそれにしか見えない
そしてその唇が、形を変える

「あら?どうしたの千香ちゃん?これでお終いなの?」
「ちくしょう…あんたはなんで死なないのよ…」

肺が繋がっていない筈なのに、どころか死んでいる筈なのに、八千美は切なく強請る声を出す
死なない人間。殺人鬼が恐ろしい事といえばこれだろう

「うふふ、当然よ千香ちゃん。私は千香ちゃんと結ばれるまでは、死んだりなんかしないから」

その台詞が終わる前に、走り寄った千香が氷点下の瞳を見せながら斧を振り下ろす
何度も、何度も。振り被っては八千美の頭に振り下ろす
部屋の中に笑いが響く
千香は歯を食い縛っているので、必然的にその笑い声は八千美のものとなる
幾度と振り下ろされる斧のせいで口も何も無いぐちゃぐちゃの塊と化している八千美の笑い声
次第に喘ぎが混じり始め、千香の背後にある八千美の身体が悶える






千より多く振っただろうか、千香は肩で息をする
もはや肉塊は吹き飛びそこらじゅうに張り付き、床には血の染みと斧の跡しか残っていない
なのに如何してか声が聞こえる



「あんもう…千香ちゃんったら本当に上手……」



達した後の、掠れた声が


ありえない、そんな筈は無い
死んだ筈だ、如何して生きてる?
生きている筈が無い
神様、私は狂ったのだろうか?
でも幻聴の方がずっと良い


涙ぐんで溜息を吐き
力無く斧を下ろし、顎を上げて天を仰ぐ


もう、いやになっちゃった


「千香ちゃん、そろそろ帰らなきゃ。お家の人が心配するわよ」

半泣きの情けなさそうな顔で視線を移すと、首無し死体が店の扉を開けて手を招いている
もはや異常さに何か言う気力も無く、斧を投げ捨てて扉をくぐる
二三歩進んだところでふと振り向いたら
目を離していた隙に、八千美の元通りに奇麗な首が胴体に乗っていた
いったいどんな仕掛けなのだろう
前を向いて歩き出し、ぐすんと鼻を鳴らして鞄を背負い直す千香の背後から八千美が声をかける





「千香ちゃん、明日も殺しに来て頂戴ね」







八千美が千香の姿を捉えられなくなるまで、とぼとぼと帰路についていたが
ふいにぴたりと歩みを止め。暫く考え込んだ後、鞄の中から金槌を取り出し

「狂ってる…狂ってるわよおかしいわ!あの化け物…殺してやる…明日こそ……明日こそ殺してやるんだからなくそったれえぇーーー!!!」

叫びながら通行人の頭を割りまくる
スカートが翻るのにも構わず、全力で駆け抜けながら血を浴びる少女の名前は千香
明治時代から代々続く、生粋の殺人鬼だ。
















――――――――――――


【異常な一般人と異常じゃない殺人鬼】
とのリクエストだったのですが
…ちょっと女の子が食われちゃいましたかね
異常じゃないってのが全然目立ってない…店主の方を異常にし過ぎた…
まあ良いか、普通ってのは目立たないと同意義ですしね

…はあ〜…
いつも似たような話ばっかりなので、婦女子二人にしたのですが、百合にしたのですが
やっぱりきついですねえ…百合、苦手なんですよ…
ほら…薔薇と違ってうっかりしたら自分の身にも降りかかるじゃないですか
ただでさえ妙な意味で女子に好かれる私です
怖い怖い

なんかうまく書けなかったんでダラダラ長くなりました
オチも意味わかんねえですね
前のリクエストで書いたやつの方が好きです
婦女子は書き難いですねえ〜…


思春期の方がリクエストして下さったので
思春期向けに書きましたけれど、どうでしょう?


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